なぜiPhoneでもiPadでもないか -Tribute for Steve Jobs-

こういうことはJobs生前に書いておきたかったよなと思うこと。

2011-10-23-apple-ipod-3rd-gen-4fy-460

僕は大のAppleファンだから、Macを使うし、iPhoneこそ持っていないけど、iPod touchは使ってるし、iPadだって発売初日に手に入れた。一番最初の音楽プレーヤーはiPodだった。だが、今年の初夏、iOS系デバイスと離別した。(ほぼ)。その経緯や思うところを書いておきたいと思う。

僕が自分の資金で買った初めてのApple製品はiPodだった。たぶん第3世代の今で言うiPod classic。Appleファンとしては遅い方だ。当時、自分のポリシーとして「トップシェア製品を疑え」という思いがあった。当時、デジタル音楽プレーヤーでiPodはトップシェアだった。方々から聞く使いやすさやデザイン性が魅力的だったが、値段の高さやポリシーもあって、ずいぶん迷った。それまでの自分の経験でトップを買うと言うことは時代の流れに流されることだと思っていたので、自分を失うことだとかそんな「高尚な」思いがあった。でも、どうしてもそのデザイン性に惹かれてiPodを買った。自分のポリシーをもまげさせたのだ。

使ってみてその機能性に驚いた。ボタンの役割が変幻自在なのに、直感的なのだ。当時はClick Wheel以外のボタンがあるものだったが、取説を全く必要としなかった。インターフェースというものがこんなにも大切であり、作ることが出来ると初めて感じた瞬間だったのだ。インターフェースというものを重視するとこんなに使いやすくなるし、こんなに表現が単純になるんだと。

2011-10-23-apple-powerbook-g4

その後、時を同じくしてマイMacを買う。PowerBook G4。当時のMacは今のように軽いモデルではないし、やっとOSとして成熟し始めた頃で、維持するのにはまだまだお金がかかる機械だった時代。ここでも、それをはねのけたのがインターフェースとデザイン性だ。デザイン性についてはここでは割愛するけれども、インターフェースの驚きは、主にキーボードに集中していた。それまでキーボードというのは文字を打ち込み指令するために必要な道具くらいにしか考えていなかった。だから、多少のうちにくさとか場所の違いなんて気に留めてもいなかった。でも、PowerBookのキーボードはそうではなかった。見た目は当時少しはやっていたフラットに近い割と凹凸のないキーなのに手を置いた瞬間に全てのキーが手の中に収まり、常にどの指がどのキーの上にあるかが無意識のうちに分かるのだ。これも又驚愕だった。

 

iPodはといえば、その後第4世代と第5世代まで買い続け、その後次なる変革となるiPod touchに出会うことになる。当時iPhoneが発売され、米国でしか手に入らないものを必死の思いで個人輸入している時代だったと思う。その後、softbankからiPhone3Gが発売されることになり、名実共に日本に上陸したわけだが、当初からiPhoneにはあまり興味がなかった。理由はいろいろあるけれども、通話と通信の統合はあり得ないと思っているからだ。JobsはiPhoneの発表日「We reinvent the Phone!」といったが、そう言いながら彼が発表したものは「Widescreen iPod with touch control」+「Revolutionary mobile Phone」+「Break threw internet communication device」だ。3つの異なるものを融合したわけで、それだけであれば携帯電話会社が売り文句に困って機能をいろいろ付けてみたというレベルだ。iPod touchユーザーになって、Mac OSXをベースにしたモバイルデバイスでのタッチコントロールというインターフェースのスムーズさや変幻自在なところはとても気に入っている。画面という場所やキーボードという場所は必要なくて、さらにはキーボード一つ一つに専用の機能を付加する必要がない。それがタッチコントロールだ。スクロールの概念だって世の中を驚かせたのも間違いない。しかし、そこに今ひとつ通話とデータ通信を統合する必要性が見つからない。キャリアがSoftbankで僕の携帯はDoCoMoだったというのも大きいかも知れないが、何かが違っていた。
2011-10-23-ipad最後に登場してくるのが、iPadだった。この頃になると日本時間の深夜に行われるAppleの新製品プレスリリースは寝ずに見るのが当たり前くらいにAppleファンになっていた。そんな時にiPadが発売されたわけだが、今までiPod touchで大きな欠点となっていたのが、画面の小ささだった。どちらかと言えばどこにいてもとりあえず情報を受け取れる、確認できるという点では革命的だったけれども、そこにクオリティーをもとめると、とても満足できないものだった。それが、iPadで画面サイズが圧倒的に大きくなったことで、一度に表示できる範囲が広まり、視認性や操作性が格段に上がった。キーボードだって、iPadを横表示にして机に置けば普通のパソコンのキーボードとほぼ同じサイズだ。両手打ちが出来るし、手元が確認できるから文字打ちが早くなった。たまたま仕事で大量の紙資料を持ち歩いていたことがきっかけで腰を痛めたことも有り、大量の紙資料をデータに変換して持ち歩けば負担も軽くなると分で勇んで発売初日に買ったものだ。結局そこから1年以上は使い込んだ。僕にとってはパソコンの代わりとなるデバイスだから、家でも外でもそれなりのデータ処理が出来るし、便利になった紋だと思っていた。

しかし同時に疑問に思い続けていることもあった。確かに確信的なインターフェースだから他のメーカーのタッチパネルとは比較にならない使い心地だ。多少間違えて打ち込んでも前後関係から自動的に修正もしてくれる優れものだ。でも、どうしても「安心感」が足りなかった。

そして今に至る。今の持ち物はMacBook AirとiPod touchである。iPadは申し訳ないがお役ご免となり本棚行き。iPod touchは現役だが使い方が変わった。音楽を聴く、メールを読む、RSSを確認する他は、天気予報を見ることぐらいだ。アプリは10個にも満たない。iOSデバイスが基本的にお役ご免となったのは、インターフェースが原因だった。パソコンのキーボードには「F」と「J」に突起があって両手の人差し指の位置を示してくれる。文字一つ一つには隣のボタンとの物理的な段差がある。常にキーボードを見ながら文字を打ち込んでいるのであれば、そんなものはいらないけれども基本的にブラインドタッチだから「ゼロポイント」=「基軸」は欠かせない。もう一つはマウスだ。iOSデバイスにはマウスポインタが存在しない。自分の手が触れたところがポイントになるからだ。だが、そこにも「ゼロポイント」がない。

僕は趣味でスキューバ−ダイビングをするけれども、深い海に潜るとどこが海底なのかが分からなくなることがある。それは上も下も右も左もすべてが同じようで違いが分からないとどこが下か分からなくなり、非常に不安感を覚えるということ。巨大な船の船底を掃除する潜水士が突然パニックになって死んでしまうことがあるのと似ている。つまり、常に大地を踏みしめて生きている私たちは不動のものの一つが地面なのだと思う。海の中ではそれが近くにないとき、僕は太陽の光が基軸になっている。太陽が上にあればその反対が地面だ。右にあれば左が地面だ。それを僕は「ゼロポイント」と思っている。太陽が見える限り広大な海の中でも自分を見失うことがない。

 

Apple CEO and co-founder Steve Jobs shows off the new Macbook Air ultra portable laptop during his keynote speech at Macworld.

Apple CEO and co-founder Steve Jobs shows off the new Macbook Air ultra portable laptop during his keynote speech at Macworld.

少々話がでかいがキーボードも同じだと思っている。iOSデバイスをやめたのは他にも理由はあるけれども、物理的な存在は非常に重要なのものだと思う。昔、Appleが「Newton」というタッチパネルデバイスを発売したもののお蔵入りした。当時は指で操作するのではなくペンのようなスタイラスを使うものだった。当時としては確信的で先進的な機能が搭載されていて、一部のマニアには受けたがあまり売れなかった。それをすべて捨て去ったJobsが改めて世に出したタッチパネルiPhoneは全く違った。それでも、Jobsはパソコン製品には絶対にタッチパネルを搭載することを許さなかったという話がある。モバイルデバイスでの操作性の良さがパソコンに取り入れられている時代であっても、どんなにタッチパネルの操作性がよくなっても、どんなに確信的なインターフェースをうみだしても物理的なキーの存在は切り捨てることが出来ないということなのではないかと思っている。

今使っている、MacBook Airは薄く軽いながらもキーボードサイズはフルサイズだし、きちんと突起もある。マウスはいつもポイントを表示してくれている。常にインターフェースに安心感がある。とにかく各内容に集中できる大切さが本当によく分かるのだ。

 

Appleは、このままのインターフェースを続けてはいけないと思う。モバイルデバイスで「よりよい世の中にするための」次なるインターフェースを是非とも世に送り出して欲しいと思う。Appleほどパソコンやモバイル機器は人間のためにあるという哲学がしみこんでいる会社はないのだから。

そういえば、10年前の今日、2001年10月23日はiPodが初めてこの世に生まれた日だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

レビュー

前の記事

【映画】ヒア アフター
近況

次の記事

KORIN展