XXX人

地球人を分類するときに使われる言葉として「日本人」とか「アメリカ人」といった「なに人」という区分が一般的によく使われてますよね。

これについてさっきふと思ったんだけれども、この区分ってもうほとんどいらなくないかな?というよりむしろ分類したいならもっとも別の分類のしかたってないのかな?って。

だって、何人かで今まで数千万人の人が命を落としたし、これだけ通信技術や科学技術が発達している中で、その人が何人かということってそんなに大きな問題ではないんじゃないのかな?っておもう。あえていうならいまどこに拠点を置いているかということくらいで。

別に何とか主義者とかそんな難しい話じゃなくて、現代だからこその新しい概念ってあってもいいんじゃない?

どうおもう?みんな 何かいい案がないかな?

XXX人” に対して3件のコメントがあります。

  1. より:

    まいど。セッツの翁です。
    例えが悪いかもしれないけど、スポーツイベントの時にとりあえず自国を応援することってありますよね?オリンピックやW杯とか。
    そういう感覚があるうちはやっぱり、とりあえず自国のことは気になるっていうことにつながるんじゃないかなと思います。
    で、そんな中でもちゃんとしたサッカーファンとかは『イングランドとアルゼンチンの試合は見逃せないぜ』みたいになるわけで。
    バレーボールのあのむやみやたらな『頑張れニッポン!!』っていうのに腹を立てる人もいるわけで。それは俺か。
    そんな人たちの感覚がもっと一般的になっていけば違う概念と言うかくくりもできるようになるんじゃないかなぁ。
    言いたいことが伝わっているとよいのだけど。

  2. yuichiro ikeda より:

    「がんばれニッポン」はぼくも思う...
    そうか たしかに、その人のアイデンティティーってのは重要だもんね
    つまりは、やはり今の「国」の概念があってその上にいろんな事柄においての、人それぞれの意見をふまえたくくりみたいのがあるってことかな 翁の意見は
    ここでスポーツの例を出してくれたのはとってもわかりやすいわ さんきゅ!
    なんかあまりにも考えなさすぎなまま提起してしまったのが恥ずかしいけど、ぼくが感じたのは、もともとはある土地に住みある土地の言葉をしゃべる日とのことを「XXX人」というんだという概念があって、それはもう打ち破ってもいいんじゃないかと思った それにそれは「区別」目的にしたものだと思うから
    でも、逆に国の概念があった上で、一般化された概念というのは「区別」の面でも解決されているしいいかもしれないな

  3. AGO より:

    俺もサッカーや野球で日本を応援しますよ!
    日本に文句を言いながらも。
    それって生き物としてしゃあないんだと思うよ。
    自分が属している集団は守りたいと思うし、応援したいと思う。
    家族や友人との関係が一番身近な例なんでしょう。
    で、その大きなくくりの中に国ってもんがあるんでしょうな。
    そうすると「×××人」っていう概念は消えないかもね。
    じゃあ、どうしたら良いかというと、
    別の集団同士を認めあうことしかないのでは。
    認め合うにはお互いを知る必要があるだろうね。
    お互いを知りえるための手段としてスポーツがあってもいいと思うよ。
    一番良い例が日韓W杯。
    政治的には未だに色々と対立があるけど、
    民衆レベルではあの大会を通してお互いを知りえたよね。
    お互いのチームを応援するっていう交流も産まれた。
    こういった輪を広げていけば、お互いが認め合えるんだと思うよ。
    ただ、スポーツはナショナリズムにつながるから気をつけないといけないけどね。

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