尊者の旅立ち

今日、僕がもっとも尊敬する人の一人が亡くなった

その人は、漢字文化の一大宝庫といわれる「大漢和辞典」の編纂の一役を担った人で、

その人は、書と古書と海外の絵画と切手が大好きな人で、

その人は、個人的ではあるけれども「切支丹」の研究者で、

その人は、明治時代から大正昭和平成を知っている人。今年で103歳だった。

自宅には、江戸初期から明治大正時代の教科書に出てくるような様々な和綴じの古書が積み上げられ、いつでも素手でさわれ、ていつでもおもしろい話とともに紹介をしてくれた。世界中から集められた切手数千枚はきちんとストックブックに分けられ、すべてに詳細な説明が付されている。書斎の机には常に硯箱がおかれ、いつでも筆を執れるようになっいた。いつもは背中が曲がっていても書をするときは全身から力がみなぎってすばらしい字を書く。机の片隅には新聞に折り込まれる裏白の紙が丁寧に切られ目玉クリップで留められ、いつでもメモが出来るようになっていた。僕が20数年前にプレゼントしたアイスクリームの箱で作った筆立てを今でも使ってくれていた。

生前最後にきちんと話せた2ヶ月くらい前、切手や古書のコレクションを是非手にとって楽しんでほしいと言ってくれた。

長い間お疲れ様でした。いつまでも僕の心の中に生きてくれると思います。

尊者の旅立ち” に対して2件のコメントがあります。

  1. 本町 より:

    すごく素敵な方ですね。
    かなり管理人さんは影響を受けた方なんだと思います。
    人が亡くなると、案外しばらくすると喪失感よりも普通に一緒に生きている感覚の方が強かったりします。それが心のなかに生きてるってことなのかも?普段深く考えないから今一つ納得した感じです。
    御冥福をお祈りします。

  2. yuichiro ikeda より:

    >本町さん
    丁寧なコメントありがとう
    そうだね、相当影響を受けているのかも知れない。いろんなところで自分のルーツを感じる人だから。でも、亡くなってからの方が一緒に生きている感覚が出てくるというのは考えなかったな。
    考えを巡らせる以前に細胞レベルでその人の存在が感じられるってのが人間らしくていいなと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ブログ

前の記事

MovableType3.3 ベータ1
ダイビング

次の記事

黒潮ーーっ