世界情勢を憂う
Life is too serious to be taken seriously. (人生は真剣に受け止めるには、あまりにも深刻過ぎる。)
このひとつきあまり僕の頭から離れることのない言葉。
7/18に、戦闘の続くウクライナ上空で撃墜されてしまったマレーシア航空17便に搭乗していたElaine Teohさんが、自身のFacebookに以前投稿していた言葉で、きっかけとなっている。辞書に用例として掲載されるくらい一般的な慣用句かもしれないけれども、ずっと離れることはない。ガザ、イスラエル、シリア、イラク、ウクライナ、、、挙げはじめたらきりがない。このひとつきの間にできる限り意識的にこれら地域で起こっていることを追うようにしているけれども、タブレットを持っている手が震えてしまうほどの感覚を覚える。
ガザの人口が180万人で、平均年齢がなんと17歳であることを知っているだろうか。従って、8月中に非常に激しかった戦闘でも、2,200人以上の犠牲者の多くが子どもたちだ。
毎週、敵の処刑を目の前で観ることをIS戦士に強制させられ、同じように自分も処刑をしないと生きていけないようにさせられている人がいることを知っているだろうか。
どうして同じ人間がこうも憎み合うのか悩んだり思い巡らせたりする暇なんて全くないほどに、世界中で闘いが起きている。
同じ日本国内の、沖縄・辺野古浜で起きている日本政府の暴挙をただ見ているしかないことと同じように、世界で起きているたくさんの暴挙をただ見ているしかできないのだろうか。