広く知らしめるとは
一口に広報といってもいろんな種類の広報がありますよね。企業の広告もあるし、メディアを使った報道もそうだし、口コミだって立派な広報です。以前い比べて最近の広告はとても興味深いものが多くなってきました。
消費者などの広告対象者に対してどんなメッセージを伝えたいのか。そのメッセージを伝えるにはどんなことをするとどんな形で伝わるか。より印象に残るように広報する方法はないのか...
人間が「飽きる」動物である以上、コピーライターに終着点は見えないでしょう。
最近、自分が仕事で作っている冊子の内容(体裁)を改訂する話が持ち上がりました。
僕が作っている冊子は、一般の大衆が見ることは全くありませんが、かなり不特定多数の企業マンの目にすることになるものです。一回の発行部数は8000部。年間では、ある程度似たもので、同規模のものが他にも2点、小規模のものも含めたら、30000部くらいは発行していることになると思います。こう考えると、けっこう公共性のあるもの。
その冊子は、読んでもらうことが目的ではなく、その中に書いてある情報に価値があるので、ある時期まではその情報を得ることにお金を払ってくれました。
でも、その情報にある程度形ができてきたとき、やはり一般のお客様は「飽き」がきて、また他社と比較するわけです。社会は当たり前ですが、いいと思ったときには信じられないほど広まるもんですが、一度見放されると恐ろしいほどみられなくなるもので、最近特にお客様から見にくいというご指摘が多く寄せられるようになりました。
今は、ニュースや株価やお得なチケットも無料で手に入れる時代です。
ある程度の情報は無料で手にはいるということは、「情報」に対する価値観は薄れていると考えざるをえません。
価値観が薄れる原因はといえば、情報源が一つではないからということが一ついえます。
「別にお金を払ってまでその情報源にこだわらなくてもほかのところが無料で提供してくれる。」
そうなった以上、価値ある情報を提供することは当たり前。
その情報をどうわかりやく加工して提供するか。そこにお金が発生すると思います。
自分が作っている冊子が、どんな形にするのがいいのか、価値ある情報をどう表すことが価値ある情報をより輝かせるのか。わかりやすいのか。
情報を知らしめるという、広報の原点にたって、考え直したいと思いました。