道具としてのパソコン
昨日あたりパソコンの云々を投稿したけれども、偶然にもこうの日経産業には「パソコンに足りないもの」と題したインタビュー記事が載っていた。
一般の利用者が操作性を意識せず、使用目的に応じて自由にプログラムできるのが本来のパソコンのあるべき姿だ。ところがウィンドウズの登場で標準化が進み、事務機器としては普及したが、個人が思考の道具として使うという点では必ずしも十分に目的を達したとは言えない。(日経産業新聞 2005/11/22)
アラン・ケイという人のインタビューなんだけど、この人は1970年代に今のウィンドウズの基本となる「窓」の考え方を考案した人らしい。知らなかったけど、「パソコンの父」らしい。
この意見には非常に賛成する。
ただ単に紙をパソコンに置き換えるためだけのものではなく、パソコンを用いなければ、またはパソコンを用いたことによってのみ新たな思考が生まれるようなそんなハードとソフトが本当のパソコン といえる。
今の状態では、少なくとも利用者側はまだまだワープロの域を出ていないのかもしれない。