裾野を広げるためには

僕は個人的には沖縄がとても好きですが、だからというわけではなく沖縄に基地を建設しようとすることに対しては反対の立場です。

ネットを見ていると、基地建設反対を表明しているサイトではその行動に対する批判が絶えません。批判の意見にもいろいろありますから、ただひたすら自分の意見を書き殴る人がいたり、あまり関係ない意見を書く人もいますが、はっきりと建設反対派への疑問や意見を求めているコメントもあります。基地建設に反対だという意見を持っている以上、誰かが決めたことに反対の意見を持っているということですから、当然ながら意見が対立することになります。

一方で、反対派の意見というのは自分のHPでは表明していても、たとえば他のサイトで意見を戦わせたり、コメントを投稿するという数がかなり少ないと感じます。この点はもしかすると僕の見ているサイトが偏っているからかもしれません。そうであったら、このエントリー自体全くの間違えですから、無視していただきたいとおもいます。

実際のところ、反対派の方が人数が少数派であることが多かったり、ネットで意見を戦わせる場合には長いコメントを早まることなくきちんと読んでもらわないと理解してもらえないことが多いと思います。ですから、はっきり言ってネット上で理解してもらうことにはかなりの労力を要します。

ですから、すべてのコメントに対してとはいいませんが、しかしある程度の意見に対してはもっと意見を出していくべきではないかとおもうのです。リアルタイムでなくても多少時間がかかってしまってもです。

反対派に反対の人たちは、強烈な言葉を使うことがありますが、意外とその人の中では単発的に発生する、反対派の意見にきちんと対応したコメントしていることが多いと思うのに、反対派に反対する人のコメントに対して多くの場合真っ向からそのコメントに立ち向かおうとしないのです。

正しい批判というのは意見の中身が反対であるというだけで、誹謗中傷だけを目的としてはいないはずなのです。その峻別はまたなかなか難しいことですが、質問や疑問に対して率直に意見を返す。という行動は逃げては通れない手段ですし、そうしなければ自分たちの行動が単に一部の組織的な反対者でしかなくなってしまうのです。反対行動を進めていく上で当事者であることは大切ですが、その行動に賛同する人が増えないというのはそういった活動がほとんど行われていないという証拠なのではないかと感じます。

現実問題として、少数の人が体を張って建設を阻止する運動を展開するよりも、多くの人がいろいろな手段を用いてさまざまなアプローチで阻止運動をする方が効果的であることは間違いありません。ということは、運動を広く展開していくことが必要ですから、そのためには裾野を広げて行かざるを得ないと考えるのです。

これからますます建設が本格化するわけで、運動もより厳しさを増すことになります。現場で体を張る人がいて、ネットで意見を戦わせる人がいて、政府に問いかける人がいて、署名活動する人がいて、裁判を起こす人がいて、報道する人がいて、かたちは様々それぞれが多くの人を巻き込んでいかなければならない活動です。そのように活動の裾野を広げるために、その一つとして、自分たちの意見や考え方をきちんと表明し、反対派に反対の意見を持つ人にきちんと向き合うという行動を忘れてはならないと強く思うのです。

裾野を広げるためには” に対して5件のコメントがあります。

  1. SAQ より:

    もはや何が主流かはわからないけど、「反対」って立場を声に出すことが批判されちゃうんだよね。
    自分が大勢側にいると思う人は、反対してる人間にアタックする(と思い込む)ことで満足しちゃうところがある。
    もうそうなっちゃうとギロンにはならないよね。
    ここの所、ほんとうに難しい。
    考え方は千差万別なワケで「正しい」とか「言いがかり」とか余計なレトリックを外していくしかないよね。極論するとすべての意見は分けられるものではないよね。世論ってただの集合体でしかないからさ。
    だから、変な前提とか立場を外して見る人がみれば、「マトモ」なことを主張してるのが誰かってのは絶対伝わるはず。
    大衆の場に議論のフィールドが形成され難いのは、文化が崩壊に向かってるってこと。それは歴史が証明してます。そういうイミでは今の日本のアタマの中身はホントに危うい。集約はコントロールを生む。これ前にも書いたか。
    反対派にアタックしてくる人と向き合うってことは、レトリックを丁寧に剥がすってことだと思う。
    基地を作ることの何が悪いんだ、ってマスコミが言っただけで、マスは乗っかってくるしね。
    あれはレトリックなんだよ、ってことを辛抱強く発信してほしいです。
    残念ながらあまり手伝えないけど。自分は答えがでていないから。今は両方の立場の人間が凄く身近にいて、しかも両方のアイディアをキチンと言葉にして聞けるのがステキだと思ってます。
    中途半端なコメントですまん。
    でも書かずにいられなかったので。
    今度時間ある時に色々聞かせてくださいまし。

  2. T.K より:

    俺の、言いたかったけれど、うまく言葉にできなかったことを、
    言ってくれてる感満載です。
    これをやりたい。
    やりたいとは思うけど、、、

  3. T.K より:

    >SAQさん
    結局、反対派も、反対派に反対する人も、感情でものを
    言ってるんじゃないかと思うんだよね。
    もちろん導入の部分で感情ってすごく大切なものだとは思う。
    だからこそ、マスを簡単に動かしてしまうことも可能なんだろう。
    だけれど、感情だけでは、きちんと相手を説得し、納得させ、
    相手に理解してもらうことってできないはず。
    そのためにも、大勢側の人も、反対派の人も、反対派に反対の人も、
    ぜひとも頭を使って欲しいと思う。
    もしかしたら、第三の案とかも出てくるかもしれないし。
    なんだか、折角SAQが具体的に表現したものを
    抽象化しちゃった感じがして申し訳ない。
    いつかSAQも自分の立場を示してね!
    仮に俺と反対の立場でも、なんとしても考えを変えてやるから!w
    他人の所でレス返しすいません。。。

  4. yuichiro ikeda より:

    この場での議論大賛成!
    SAQさん、T.Kさんコメントありがとう
    二人の意見の中で僕の意見と共通していて僕が書き漏れているところがあったから感謝です。
    SAQさんの「反対派にアタックしてくる人と向き合うってことは、レトリックを丁寧に剥がすってことだと思う。」という点と、「感情だけでは、きちんと相手を説得し、納得させ、相手に理解してもらうことってできないはず。」って部分が。
    社会で生きている以上、個人に様々な感情が生まれてしまうのは当然。そこまで察する必要はないと思うけれども、何か勘違いしている部分があるならそれを一つ一つ考え直してもらうというま、気の遠くなるような作業が必要ってことにはなるよね
    でも、それが必要なんだよね

  5. hikki より:

    議論することが某ブログのように誹謗中傷の雨霰になってしまうことも予想されるけど、とにかく議論は大切。その際「冷静になろう」という言葉も多分出て来ると思う。冷静という言葉は私は個人的には大好きなんだけど、感情のぶつかり合いをしている現場を「静かに冷めた目で」見ているのが「冷静」だとしたら、それは少し違うとは思う。もちろんそういう瞬間は私にも沢山あった。あったけど、だいたい大したことのない場面だったなぁ。
    今回の辺野古の海上座り込みや、キャンプシュワブ前での阻止行動、パトリオット搬入反対の阻止行動、それらを端から冷静な目で見ていることは出来ないと感じたな。やはり日本人として黙ってていいのかという思いがしたわ。
    武器が必要という人の気持は正直わからないでもない。爆弾の下にいたこともないし、テレビのヒーローたちはみんな武器使ってたし。そんな環境で育って来たんだから、武器の本当の姿なんて完全にはわからない。分からないけど、武器の被害を受けた人、武器を使って来た人、武器で親族失った人たちが声を上げている。その声を丁寧に聴いて行ったら、やはり「武器が呼ぶ物は武器しかない」という結論に達しただけなんだわ。元特攻隊員だった親父の完全反戦主義にも影響されているだろうな。それは認める。普段は穏やかな親父だけど、重大な人権侵害などを見たりすると黙っていられないとばかりに怒鳴ってた。
    その親父に「まあまあ冷静に」とは言えなかったよ。議論とは「意見」を交わすこと。意見は誹謗中傷に代表される「言い放ち」とは違う。自分の責任ある言葉が意見のはず。だから、意見だったらどんな立場であれ、聞き合いことが人としての大原則。そんな場が出来れば良いなとは思う。
    ただ、今回のパトリオット配備に限らず、重要な武器配備は民衆の頭ごなしに行なわれる。米軍としても「今度はこれ」「今度はこんな武器配備します」なんていちいち秘密ばらせるわけない、と言うだろうね。米軍に限らない。日本の防衛費だって以前は5%の壁とか色々問題になっていたけど、今や17%越えてる。知らない間に年間5兆円。米国を支援するためにせこせこ買っている米国債が、日本の保有額は80兆円。年間予算と同じよ。これもまあ自分で意識もって調べればオープンにはされているんだけどね。
    ま、いずれにしろ、議論は大切ね。
    長くてごめん。

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